映画Fukushima50事実と違う?嘘・ひどいの批判と評価について

2011年3月11日の東日本大震災で、原発事故の対応にあたった現場の作業員らの姿を描いた映画「Fukushima50」。

映画「Fukushima50」には事実とは違う点がいくつかあるようです。

そのため、嘘やひどいという批判の評価に繋がっていました。

今回は映画「Fukushima50」の事実と違う点と、批判の声の理由を調べていきたいと思います。

映画「Fukushima50」事実と違うのはどこ?

映画「Fukushima50」の事実と違うところを調べていきます。

首相視察でベントが遅れたのは嘘

首相視察でベントが遅れたのは嘘です。

間違った認識や事実はどうなのか。

映画ではどのように描かれているのかを調べていきます。

間違った認識

間違った認識が、事実と違った嘘に繋がっているようです。

 

福島原発は、津波で全ての電源を喪失し、原子炉内の圧力が上昇。

原子炉の爆発を防ぐため、格納容器の弁を開けて水蒸気を逃し圧力を下げる「ベント」を行う必要がありました。

ベントが開始されたのが首相視察の約3時間後だったことから「首相の視察のためにベントが遅れた」との批判の声があがりました。

事実は?

事実は違い、ベントを急がせるために菅氏は現地に向かったようです。

 

11日深夜に東電は菅氏ら官邸にの政治家に対し、ベントを行いたいと申し出ます。

12日午前1時30分には、海江田万里経済産業相(当時)名でベントの指示が出されました。

ですが、ベントは明け方になっても始まりません。

なぜ始まらないのか菅氏が尋ねても、官邸に詰めていた東電の幹部は答えられませんでした。

菅氏に限らず、確かな情報が得られない官邸の政治家は誰もがいら立っていたようです。

本来なら事故対応は東京電力に任せ、官邸はその進捗状況を見極めながら住民の避難の仕方を決める、という役割分担になるはずです。

事故対応の進捗が分からなければ、官邸は住民をどのように避難させるべきかを決められません。

「午前3時にベントをする」と伝えられていたのに、3時を過ぎても「遅れていること」も、「遅れている理由も」も知らされない状態だったので、「行くしかない」ということになりました。

映画ではどのように描かれているのか

映画では、佐野史郎さん演じる総理や官邸の政治家が、ベントについて専門家の説明を受ける場面があります。

人為的に放射性物質をばらまく行為の重さにうなりながらも、最後はベントを急ぐよう求めます。

同時並行して原発の現場でも「ベントしかない」と決意する場面が描かれていました。

この時点で官邸と原発の現場の間に意思の疎通はないが、双方が事故の評価について同じ認識を持っていたことは分かる。

問題は、東電本店が現場の吉田所長に「総理が視察に行く」と伝える場面。

渡辺謙さん演じる吉田所長が「それでは総理が来るまでベントを待てと言うのか」と本店にただしたのに対し、本店は答えず電話を切ります。

官邸が「ベントを待て」という場面は実際存在しません。

東電本店が指示したという描写にもなっておらず、吉田所長が「ベントを待てというのか」というセリフだけで、答えがないことにより、官邸がベントを待てと言ったように感じ取れてしまします。

その後総理が視察を終えてヘリで飛び立った後、原発の現場で「ベントの作業を開始していいですね」と確認する場面があります。

「総理が現地へ行くことになったのでベントが遅れ、被害が拡大した」というストーリーのになっているように感じます。

今もこのストーリーを信じている人は多いと思われます。

海水注入問題

映画との違いに「海水注入問題」があります。

「海水注入問題」について説明していきます。

事実は?

海水注入の事実について書いていきます。

冷却機能を喪失した原発はメルトダウンの危機に陥り、冷却のために原子炉に注入する真水も切らしていました。

冷却を続けるには海水を注入するしかなかったが、塩分を含むため原子炉が傷む恐れがあります。

原発の現場はそれでも海水注入が必要と判断し、独自で注入を開始。

ですが、官邸に詰めていた東電本店の武黒一郎フェローから連絡が入り、吉田所長が海水を注入を始めたことを知ると、武黒氏はあわてて止めに入ります。

「官邸がくじくじ言ってんだよ!いますぐ止めろ」

吉田氏はその指示に従ったふりをして、実際は海水注入を続けていました。

放っておくと格納容器の下のコンクリートや鉄筋を溶かして放射性物質を外界に撒き散らすので、冷やして水没させることは必要で、その限りでは海水注入継続は正しい判断でした。

映画ではどのように描かれているのか

映画の描写もほぼこの通りです。

ですが映画ではこの場面で、官邸側として段田安則さんが演じた武黒氏だけしか登場していません。

菅氏ら官邸の政治家は、実際にこの時何をしていたのかがわかりませんでした。

映画では映らない官邸の動きを補完して観ることもできますが、このような作品を初めて観る人には、誤解を招く可能性があります。

「嘘」や「ひどい」という批判の評価について


映画「Fukushima50」を観た人は「嘘」や「ひどい」といった批判の評価をしています。

SNSの声を元に調べていきます。

「嘘」という批判の声

「嘘」という批判の声について調べていきます。

事実との違いがあるので、「嘘」の多い作品という声がありました。

私も思いましたが、登場人物が実名と違うこと。

菅直人元首相が雰囲気も似てなく、別人のようにみえること。

「東京電力」の社名を「東都電力」と変えています。

些細なことかもしれませんが、事実とは違うので「嘘」ということになってしまいますね。

「ひどい」という批判の声

「ひどい」という批判の声について紹介していきます。

「ひどい」という声の中には、津波のシーンを見せられてひどいという声がありました。

経験してる人には、とてもつらい映像ですよね。

ですが、当時を知らない人にとっては、必要な映像になると思います。

東日本大震災を知らない子供たちにも、震災の事実やそこで戦った人々の姿を残すためにも・・・。

「エンディングがひどい」という批判の声

「ひどい」という声について調べていくと「エンディング」について書かれている声が多くありましたので、紹介していきます。

映画「Fukushima50」のエンディングには、満開の桜の映像、現場の「英雄」たちの活躍によって原発事故が収束し、復興が着実に進んでいるかのように印象づけてしまっています。

そして最後に、東京五輪の聖火リレーが福島県からスタートすることを紹介する文字。

現在も復興のために戦っている人々の姿について書かれていないことが「ひどい」という批判の声に繋がっています。

桜のシーンについてですが、映画の撮影は1月で終わったそうですが、CGで作ることなく、まだ帰還困難地域である豊岡町の桜を撮ったそうです。

まとめ

『映画Fukushima50事実と違う嘘・ひどいという批判の評価について』と題して書いていきました。

映画「Fukushima50」を観た人からは「事実と違う」「嘘」「ひどい」という声があがっていました。

エンディングは少し残念に思ってしまいましたが、戦争映画が次の世代に引き継がれていくのと同じように、福島第一原発事故も、東日本大震災やその他の大災害と並んで、記憶にとどめておく必要があると思います。

命がけで戦った「Fukushima50」の姿を忘れないように。

 

最後までお読みいただきありがとうございました。

 

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